ぼくの背中はむずかゆい
ふつふつとたまる苛立ちに似た感情は
常にはけ口を探すから
最近僕は、それらを都合よく練習に充てている。
手を動かしていれば苦にならない。
場合によっては、その練習で出来ないことが見つかって、また別のアングルから苛立ちは煮詰まることもあるのだけど。
感情は毎日の中に所狭しと落ちている。
いいものもあれば悪いものもあるけど
どちらにしろ溜まりすぎると毒になる。と思う。
前まではそれの放散は物を作ることだった。
今ももちろんそうだけど、割に器用になったと思う。
おいしいものを食べるのもいいし、誰かに会うのもいい。ヘッドホンでサカナクションを大音量で聴きながら帰ってもいいし
自転車で冬の風をきると頭が冴えてきて冷静になれる。
溜まった毒がなくなるときは
すーっと抜けていく感覚がある。
熱が引くような、水かさが減っていくような
穏やかな解放が心身をなだめるのだ。
結局、うまく生きることなんて
誰もやってないのかもしれない。
いいことも悪いことも半分こになって、みんな人生を行ったり来たりしている。
自分もうまく生きれた試しはもちろんないが
いいことも悪いことも、おおよそ半分ずつあるように思えるし
その時の季節や体調、心によって
同じことすら別物に感じさせることもあるからなんとも言えない。
ただ、みんな人間であって
人間である以上は色んなことにいちいち感情を持ち、それをどうにか昇華させていく他ないのだ。ということなのだ。
それはスポーツ選手も学校の先生もミュージシャンも同じこと。
今できることは今やろう。と思う。
最近は思える。
そっかー今やればいいんだ。ってかんじ。
また寒くなった夜風は
いつも沸いた頭をまるごとさらってくれるからいい。
毎日生まれ変わってあしたの自分を生きることにしている。
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